いったいどこまでいけば、人は満足できるのか

きりん屋です。こんにちは。

 

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何日か前に、日常が学びの場だなって書きました。

本心でそう思います。どんな時も、どんな人が相手でも学べることがあるなぁって実感しているし、そういう学びを一つずつ昇華することで自分を高めていきたいと。

でも時々思うんですよね、いったいいつまでこれを続ければいいんだろうって。

基本めんどくさがりやな人間なので、努力をし続けることに疲れるというか、終わりのない道の先を思うと不安に似た気持ちになります。

成長したいという願いはある。

より良い人間になるためという目標はあれど、その姿は明確じゃない。

このまま歩き続けることで、絵にかいたような完璧な人間になれる保証もないし、きっとそんなことは不可能なこともわかってる。

なんとなく生きてる限り成長を模索し続けるんだろうなと思うし、でもここまで行けばよいというゴールもなくて、この先成長し続けなきゃいけないことにしんどさを感じことさえある。

 

考えても答えが出ることではないし、そう思いつつも成長し続けるほか道はないんだからと自分を奮い立たせて、今日もきりん屋は生きている。

でもやっぱり時々、それも定期的に、この不安が出てきてしまう。

 

みんなこういう気持ちとどう向き合ってるんだろう。

きりん屋はこの気持ちとどう向き合っていけばいいんだろう。

ドラマの主人公のように、最終回があって、お姫様は幸せに暮らしましたとさ、めでたしめでたし、みたいな人生だったらどんなに楽だったんだろう。

 

 

会社の経営者の人に勧められた稲盛さんの有名な著作の中に、こんな一節がありました。

そうであろうと努めながら、ついにそうであることはできない。しかしそうであろうと努めること、それ自体が尊いのだということです。
戒めを十全には守れなくても、守ろうとする気持ち。守らなくてはいけないと思う気持ち。守れなかったことを真摯に自省、自戒する気持ち。そうした思いこそが大事であって、そのような心を持って毎日を生きていくことが、悟りに至らないまでも、十分に心を磨くことに繋がり、救いにも通じる。

 

悩みつつも、前に進むしかない。そしてそうあることが何よりも尊いことだと稲盛さんは書いています。

そうなんだよね。やっぱりそうなんだよね。そうなのかー。

みんな答えがなくても、必死に生き続けてるんだ。すごいんだな、人って。

 

きりん屋はこのブログだと「人を信じる」とか「成長し続けたい」とか綺麗事ばっかり書いているけど、なかなかそんな風に割り切って、努力を続けることができないな。

頭ではわかっていても、ついダレる時があります。

今日はもういいわ。何も考えずに一日やり過ごそう、ってこともある。

まぁでも、そういう日もあれば、また「よりよく生きよう!」って気力がわいてくる日もある。

結局のところそうやって、折り合いをつけながら生きていくしかないんだろうな。

 

なんだか後ろ向きな結論だけど、そして何も解決してないけど、今後何かのきっかけでこの問いに対する答えが見つかればいいな。

というか、いつかこういう風に思わずに成長し続けられる自分になれるといいな。

その日までは、稲盛さんの言葉をよりどころにしていよう。

真我や魂から発する理性と良心に従って、確固とした倫理観や道徳観を、心にインプットしてしまう。すなわち、「世のため人のために尽くす」という考え方、欲望のままに必要以上のものを求めたりむさぼったりしない「足るを知る」という生き方を心に刻み付けるのです。
そのような理性と良心を持って感性や本能を制御しつつ人生を歩み、「よき経験」を多く積んでいくことが、つまりは心を磨くことに繋がり、おのずから悟りに近づくことにもなる。そうやって高められた魂は、現世だけでなく来世にも継承されていくのです。

 

今回の記事はえらく後ろ向きでしたね。きりん屋は本来こういう人間なんです。笑

これも自分の心理状態の変化としてブログに残しておきたいなと思って書きました。

 

最後に稲盛さんの言葉で無理やりうまくまとめようとした感が出てしまったけど。

稲盛さんの本は、さすが人気だけあってきりん屋も貪るように読んでます。

生き方―人間として一番大切なこと

生き方―人間として一番大切なこと

 

いつ読んでも新たな気づきがある。

 

これからも、ダレたりぼやいたり、そして急にやる気に満ちたり、突然スピリチュアルに目覚めたり、そんな自分を楽しみながら毎日過ごして生きたいなと思います。以上。

 

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