家族に対する「自分ばっかり苦労してる!」をやめたい

きりん屋です。こんにちは。

何日か前に、自分の大切なもの3つを考えてブログに書きました。

いちばん最初に浮かんだのが「家族」。

家族、本当に大切だなと思う。今までもこれからも同じ。大切にしたい。

 

だがしかし。大切にしたいのだがしかし。

大切にしたいのに、その気持ちに反してなぜか大切にできない時がある。

今日はそういうお話です。

 

家族、大切にできてますか?きりん屋はね、できないっす。

仕事とかと一緒。気を張ってるときはできるけど、他のことに忙しくなったりするとついつい後回しになる。

時々、家族の幸せより自分の欲求を優先してしまうことがあるんです。

もうちょっと正確に言うと、やることはやるけど、嫌々というか、「なんで私ばっかり彼らに尽くさなきゃいけないの?」感が満載というか。

そういうのって、感じている自分も嫌だし、家族にもそういう気持ちって何となく伝わっちゃって、いや~な気持ちにさせちゃいますよね。だれも幸せになれない。

 

f:id:kilinya:20160731082419j:plain

 

きりん屋はもっと、ドラマに出てくるような優しい妻・優しい母になりたい。

朝は早く起きて笑顔で家族を起こし、美味しい朝ごはんで一日をスタートして欲しい。彼らが人生に迷った時は優しくそばに寄り添いたいし、いつも一番の理解者でいたい。家族の幸せが自分の幸せだと心から思って、清潔な洋服や寝具を用意して、美味しいごはんを作って、いつも安心と安らぎを提供できる人間でありたい。

でもできない。

それを邪魔する原因がいつも「なんで私ばっかり!」っていう気持ちだし、それを邪魔する理由もいつも「なんで私ばっかり!」っていう気持ち。原因も理由も同じ気持ちなんだ。

 

 「嫌われる勇気」でこんなたとえが出てきます。

夕飯後にテーブルに食器が残ったまま。家族は誰も動こうとせずに、妻である自分がやらざるを得ない状況で、「どうして誰も手伝ってくれないのか」「なんでわたしだけが働かないといけないのか」と考える。きりん屋も思い当たる節がありすぎる話です。

それに対する哲人の話。

しかしこのとき、たとえ家族から「ありがとう」の言葉が聞けなかったとしても、食器を片付けながら「わたしは家族の役に立てている」と考えてほしいのです。他者がわたしになにをしてくれるかではなく、わたしが他者になにをできるかを考え、実践していきたいのです。その貢献感さえ持てれば、目の前の現実はまったく違った色彩を帯びてくるでしょう。

いやー。いやいやいや~?だから、そう思えないから困ってるんですけど?

わたしが他者になにをできるかを考え、実践していきたいのです。」

いきたい。いきたいよ?いきたいですとも。でもできないの!

 

本を読み進めていくと、ここで「貢献感」が持てるかどうかは、自分が相手のことを「仲間」だと思っているかどうかによる、ということが書いてあります。

ありのままの自分を受け入れるーーつまり「自己受容」するーーからこそ、裏切りを恐れることなく「他者信頼」することができる。そして他者に無条件の信頼を寄せて、人々は自分の仲間だと思えているからこそ、「他者貢献」をすることができる。

たぶん、きりん屋はこのあたりがイマイチ理解できてないんだよな。

何度も書いてる通り、息子相手には「信頼」することもできてない。

つまり家族を「仲間」だと思えてないってことなのかな。

でも何度も何度も本を読んでも、どうすれば子供を信頼することができるかもわからないし、どうすれば家族を仲間だと思えるのかもわからない。

本を読む限り、「自己受容」ができれば「他者信頼」ができて「他者貢献」することができるってことだと思うんだけどな。違うのかな。

うーん、難しい。

けどここを乗り越えないことには自分の理想としてる妻・母に辿りつけない。

乗り越えようじゃないか。

 

やるべきことは、どうすれば家族を「仲間」と思えるようになるのか、その具体的な方法を見つけて実行すること。

なにかヒントになる考えやアイディアがあれば教えてください。

 

以上、迷走気味ではありますが、本日はここまで。