褒め上手でありたい

きりん屋です。こんにちは。

「嫌われる勇気」を読んで初めて、人を褒めるという行為が実は「自分よりも能力の劣る相手を操作すること」に繋がることを知りました。

そして、何となく理解はできるけど納得はできないという何とも中途半端な状態です。

今日はそのお話。

 

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学生時代、きりん屋は居酒屋でアルバイトしてました。

別に食べるに困るほどお金がなかったわけでもなく、そこで社会を学びたかったわけでもなく、ただ大学生になったんだし余暇はバイトで埋めるのがあたりまえだし皆そうしてるから右にならえで始めただけです。

働いてお金を貰うわけですから、最初はうまく動けずに怒られたり、やりがいもなくて自分何してるんだろうな~と思ったりしてました。

そんな大学一年生の夏。

友達と旅行に行きました。レンタカーかりて、コテージ予約して、バーベキューして海で花火したり、そうこうしてるうちに誰々くんと誰々ちゃんがいなくなった!みたいな。朝方帰ってきた二人をいじってみたり。楽しかったな。

 

で、話したいのはそんな青春の一ページじゃなくて、バーべキューの片付けのときのことなんですけど。

きりん屋は、流しで食器を洗ってました。

次々運ばれてくるお皿やコップやお箸なんかをガツガツ洗ってたの。

もう一人の女の子が洗った食器を拭いてくれたので、なるべく彼女の作業を止めないように、お皿の汚れをスポンジで落としつつ横目で見て彼女の手元のぬれてるお皿が減ってきたタイミングで泡のついた食器を水で流して彼女の仕事を確保する。

流しに食器を入れる時も、なるべく同じお皿やコップをまとめておいて自分も洗いやすいようにする。

居酒屋でやることを自然とやっていただけなんだけど、その時にその彼女が、

「さすが、手際がいいね」って言ったんです。

 

彼女はきりん屋が居酒屋でバイトをしていることを知ってて、食器を洗う一連の流れを見て、「さすが、(居酒屋でバイトしているだけあって)手際がいいね」って言ったんだと思う。

そのさらりと発せられた一言に、きりん屋は内心とても驚き、そしてとても嬉しい気持ちになりました。そしてたくさんのことを学んだ。

 

自分でも気付かなかった自らの良いところを知れたこと。

自分でも気づかない良いところが、実は自分にはたくさんあるんじゃないかと思えるようになったこと。

嫌々やってたバイトが、日常生活に確実にプラスになっていたということ。

たかがお皿洗いとはいえ、自分を高めていくことができることの気持ち良さ。

たった一言で、相手を幸せにできる言葉のちから。

 

哲人の言うことはたしかにわかる。

人が他者をほめるとき、その目的は「自分よりも能力の劣る相手を操作すること」なのです。そこには感謝も尊敬も存在しません。

わかる。わかるんだけど、本当にそこには感謝も尊敬も存在しないのかな。

 

彼女がどんな気持ちできりん屋を褒めてくれたのか、その本心はわからないけど、きりん屋は褒められた側の人間として「あ、すごいな」って思ってくれた気持ちを素直に言葉にしてくれたんだと思ってる。

そこに「操作」の気持ちは感じなかった。

てことは、感謝や尊敬を示す「褒め」もあり得るんじゃないかな。

 

いまでも、褒め上手というと彼女の顔が浮かんできます。

きりん屋も誰かに対して「すごい」と思ったら素直に言葉にするようにしている。

「操作」や「介入」にならない褒めが、きっと存在すると思ってるし、それを自分で実行していきたいと思ってます。