子どもの頃にして欲しかったことをする

こんにちは、きりん屋です。

昨日に引き続き、「バケモノの子」の話です。

 

物語の中に、多々良というお猿さんみたいなバケモノが出てきます。

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主人公の九太を弟子にする熊徹というバケモノの悪友的立ち位置。

人間の弟子をとることに否定的で、何かと反発し合う九太と熊徹を冷めた口調でいなすんだけど、途中に熊徹と二人で話すシーンがあります。

 

ガキのころの自分が、本当はどうしてほしかったかを、ちゃんと頭っから思い出してみるんだな

 

ほんとね、子育てってそれに尽きるんじゃないかなと思う。

自分が子どものころに抱えていた欲求とか不満とか、反対にどんなことが嬉しかったのか心惹かれてたのかを、子どもを持った今、思い起こすべきなんだよ。

 

きりん屋は子どものころ、不平不満の塊みたいな子だった。

なんで美味しくないものを無理して食べなきゃいけないのかもわからなかったし、

行きたくない学校に無理やり行かされるのも嫌だったし、

なんで人前で堂々としないと親ががっかりするのかも理解できなかった。

それを強いる大人たちに怒りを感じていたし、自分を納得させてくれる説明がないことに失望してた。

 

そしていま、自分が軽蔑していた大人たちと同じことを、自分がしてしまう時がある。

息子が嫌いな野菜を残すのを見て、「そんなんじゃ大きくなれないよ!」って脅す。

次々おもちゃを欲しがっては次々に飽きる様子を見て呆れる。

こっちの都合に合わないことを言った時には、なんとかして上手く誘導しようとする。

 

そんな時に、子どものころのきりん屋が出てきて、聞いてくる。

一口分の小松菜を残すことが、そんなに悪いこと?

新しいおもちゃに興味を持つのって、いいことじゃない?

なんで、自分の小さな物差しを子どもに押し付けて操作しようとするの?

 

なんで自ら進んで嫌な大人になってるんだろうね。おかしいなぁ。

自分が不満に思っていたそのままを、息子はいまきりん屋に対して感じてるんだ。

それってなんか、不毛というか悲しいというか。

 

わが子に対する理想の親は、自分の中にいる。

子どものころを思い出してみれば、その姿が見えてくる。

世間の常識とか他人の目はいったん置いといて、自分の気持ちを軸に子どもとの触れ合いを考えていきたいな。

みんな昔は子どもだったんだもん。

子どものころを思い出すことは、わが子の立場に立って物事を見る一番のヒントなんだよね。

なかなか簡単にいかないけど、多々良の言葉を思い出しながら息子と向き合っていこう。