自分がした親切は、きっと世界のどこかで誰かを幸せにしてる

こんにちは、きりん屋です。

やってもらったことはすぐ忘れちゃうくせに、自分がやったことはいつまでも覚えていて、お礼がないとなんとなく損した気分になる、器の小さい人間です。

あと、たぶんこれ今誰も見てないなっていう時、気づいたごみを放置しちゃうこともあります。

だって、めんどくさいし。

誰かが見ててくれて「あ、きりん屋さんえらい」って思ってくれるんならともかく、そういう得もないのにめんどくさいことだけするのもね~って思っちゃう。

ちっさいなー、我がら小さい!

 

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「嫌われる勇気」で、相手を褒めてはいけないとした理由の一つにも、「褒めて伸ばすやり方だと、だれも褒めてくれない状況だと善い行いをしなくなる」みたいに書かれていて、これまんま自分のことだと思いました。

きりん屋褒められるの大好きだもんな。

仕事も家事も、たぶん半分以上は誰かから褒められたいって気持ちでやってる。

そっか、褒められて育ったからなのかこの習性は。

でもかといって、30過ぎにもなって自分の性格を育て方のせいにするのもカッコ悪いよね。 

 

そんなわけで、人から感謝されずとも、誰の目がなくとも、気づいたときに正しい行いができる人間になれないかなーと思っていたわけですが、今日ちょっと、おぉこれはと思える話をされたのです。

話してくれたのは会社の先輩なんですけど、きりん屋よりずいぶん年上で、すでに3人のお子さんを成人させている、いつもニコニコしていて、周りの人を気遣うことができて、かつ時折見せるブラックなユーモアがまたいい、そんな人生の大先輩です。

きりん屋が、いいことして誰にも見られてなかったら損した気分になるじゃないですかって言ったら、まるで幼稚園児に言い聞かす先生のような口調でこんな話をしてくれました。

 

たとえば、先輩がきりん屋にとって何かいいことをしたときに、きりん屋がお礼を言ったら、そこでそのいいことパワーはお終いになっちゃうんだって。

そうじゃなくて、きりん屋がそのいいことパワーでもっとほかの人を喜ばせてくれたらその方が先輩は嬉しいらしい。

二人の間で完結させちゃうんじゃなくて、自分のやったいいことが世界のどこかでよい連鎖を生んでいってると思えばいいじゃん、みたいな。

そんな、自分に対してお礼がないとか、誰も褒めてくれないとか、そんな小さいことどうでもいいんだよってさ。

 

いやいや、聖母かよ。マリアかよ。

全然納得できませんでしたね。きりん屋、器小さいから。なめんなよ、器の小ささ、なめんなよ。

言いたいことはなんとなくわからんでもないけど、そんな風に考えられるもの?

世の中のできてる人は、みんなそんな聖母みたいな考え方してんの?

すごいなー。

きりん屋は今のところ一切納得できないけど、いつかわかる日が来るかもしれないから、その気持ちを込めてブログに書きました。

以上。