楽することが幸せ、じゃない

きりん屋です、こんにちは。

思えば、ずっと「楽したい」と思って生きてきました。

学生時代は勉強が苦痛で、大人になれば勉強しなくて楽になると思ってたし。

社会人になってからは仕事が苦痛で、専業主婦になれば楽になると思ってた。

人生は大変なもの、生きていくことは苦労の連続だと思っていたから、いかにその苦労をせずに生きていくかを考えてたし、その先に自分の幸せがあるんだと思ってたなー。

愚かですな。

 

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今も、幸せの何たるかはわからないけど、幸せに関して一つはっきりとわかったことが、楽することが幸せではない、ということ。

 

何をもって幸せとするのか自分なりの定義がまだできてないけど、生活していて「あぁ幸せだなぁ」って思う瞬間て、必ずしも楽してる時じゃない。

むしろ、このままお布団にダイブしてしまいたいと思いつつ、自分を奮い立たせてゴムを付け直した帽子を、翌日かぶって登園していく息子を見た瞬間、とか、

二度寝したい、と思いつつ起き上がって窓を開けた瞬間の夜明けの空の色がめちゃくちゃきれいだったとき、とか、

めんどくさいなーと思いつつドリップして淹れたコーヒーが本当にいい匂いだったとき、とか、

そのコーヒーを飲んだ瞬間「あ、うま」って夫が漏らした一言だったりとか、

とかとか、そういうときにきりん屋は幸せを感じたりする。

むしろ楽した時じゃなくて、自分を律して自分のやるべき行動をきちんと実行したときに、なんとも言えない、ジーンとした幸せな気持ちになることが多い。

不思議だな。

 

自分を律するって、結構大変じゃないですか。

つい、わかっちゃいるんだけど、ついつい、楽な方向に流されちゃう。

むしろそこに人間らしさも感じるけれど、きりん屋は自分の人生になるべく多くの「幸せだな」っていう瞬間を増やしたいから、これからは意識して「楽じゃない方」に行こうと思う。

それがもうただしんどいってなっちゃうとそれもまた本意ではないので、バランスが大事だけどね。

あ、あともちろん、もっと別な時に幸せを感じることもあります。

プレゼント貰ったときとか、夫が思いがけずごはんを作ってくれたときとか、わー幸せ!ってなる。

そういう幸せは別途大歓迎ってことで。

自分が幸せだなって思える範囲で、自分を律して正しくある。難しそうだけど、やってみる。