それもこれも生物としての単なる反応

きりん屋です、こんにちは。

 

Eテレのサイエンスゼロという番組が好きでよく観ます。

先週は「徹底解説!科学の“未解決問題” ダーウィンの進化論に異議あり!?」というタイトルで放送されてました。

www.nhk.or.jp

 

働き者の例えでもよく出てくるアリ。

ところがどの種類のアリでも、どの巣でも、メンバーのうち約2割が実はほとんど働いていないんですって。

ダーウィンの進化論は効率的に生き残りやすい子孫を残せるものが増えるという理論なのに、働かないアリなんて矛盾してるじゃないっていうのがテーマになってました。

 

番組では、この働かないアリと働くアリの違いが「閾値(いきち)」という言葉で説明されてます。 

 

閾値とは、

感覚や反応や興奮を起こさせるのに必要な最小の強度や刺激などの(物理)量。

だそうです。難しいね。

 

テレビのすごい所はこういう難しい言葉をうまくかみ砕いて説明してくれるところだけど、今回もたまごのカビを例えにすごくわかりやすく解説されてました。

 

アリのたまごは何もお世話をしないとカビが生えるらしいです。

閾値が低い(小さい刺激に反応する)アリはカビが出来るとすぐ反応してお世話を始める(働き出す)んだけど、閾値が高いアリはカビがどんどんひどくなって刺激が高まってから反応してお世話を始める(働き始めが遅い)んだそう。

巣の中にもたくさんのアリがいて、この閾値が低い個体もいれば高い個体もいるので、閾値の低いアリはよく働くし、閾値の高い2割ほどは自然と働かなくなってしまうんだね。

 

でも実はこの働かないアリにも立派な役割があるのに、ダーウィンの進化論では矛盾してしまってるんだよねーというのが番組の趣旨でした。

長くなってきたのでこの辺は割愛しますけども、興味がある方がいらっしゃったら、今度1月7日(土)に再放送があるっぽいのでそちらをご覧くださいませね。

 

で、ここからがきりん屋の言いたいことなんだけど、

きりん屋も常々、同じ人間なのになんで人ってこうも違うんだろうっていうのをずっと考えてました。

自己成長を求めて仕事に邁進する人もいれば、ただとにかく時間が経過するのを最小限の働きでやり過ごす人もいる。

赤の他人に家族のように思いやりをもって接する人もいれば、他人には全く無関心の人もいる。

部屋が汚いことに絶対気付いているはずなのに、なぜか家族は何も手を出してくれなくて今日もきりん屋一人で片づけてる現状。

洗濯物がたまってる、そろそろ窓ふきもしないといけない、あの時計電池入れ替えなきゃ、年末最後のゴミ捨てだからあれもだしておかないと・・・。

なんでいつも気付くのはきりん屋で、夫は(気づいてるのか知らないけど)何もしないんじゃボケーーー!ってね。

後半は完全に愚痴ですね。すみません。笑

 

でも、そう、こんな風に、たとえ言葉に出さずとも内心ちょっと思っていたわけなんですけども、今日この番組を見てスッキリしたんです。

なんだこれってただの反応だったんだって。

たぶん、きりん屋より夫の方が、生活に関する閾値が高いのだ。

洗濯物ももっともっと今の2倍も3倍も溜まってたら夫も気付いて洗濯機を回してくれる。

時計の電池も、家中の時計が全部止まっちゃったら、きりん屋がなにを言わなくても入れ替えてくれる。

反対に、息子に対する閾値は夫の方が低い。きりん屋が全然気づけないことに、気づいていつも助けてくれる。

 

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そう、全ては単なる反応。閾値が高いか低いかの違い。

それに気付けたから夫に対する不満感が少し納まった気がします。たぶんだけど。

いちいち人のことにカッカせず、「ああ、あの人は閾値が高いのね」って済ませておけばいいんだね。閾値っていう言葉も、いい感じに難しくて使ってる自分をなんかカッコよく感じさせてくれるし。笑

なんだかいいことに気付けたな。うふ。