「あずかりやさん」を読んだら、持ち物を大切に扱うようになった

 

キンドルを使い始めてから、紙の本を購入することはぐっと減りました。

だけど本屋さんパトロールは欠かせない。

本屋さんをプラプラ回りながら、タイトルや売れ筋だけでなく、表紙の写真や背表紙だったり店員さんの愛情こもったポップだったりに魅かれてなんとなく本を見て回るのが好きです。

 

今回読んだ本もそんな中で出会いました。「あずかりやさん」という物語です。

あずかりやさん (一般書)

あずかりやさん (一般書)

 

一日百円で、何でも預かってくれる『あずかりやさん』

 

物語は、目の不自由な『あずかりやさん』のもとに色々な物が持ち込まれる日々を、お店ののれんやガラスのショーケース目線で眺めながら進みます。

目が見えないから、お客さんがなにを預けようとしているのかはなんとなくしかわからない。

だけど、あずかりやさんに預かってもらったり店主に話を聞いてもらううちに、不思議と物事が好転していく。

 

1編ずつ語り部が変わって、人や動物目線で進むお話もあるんだけど、きりん屋は断然モノ目線のお話が好きだなぁと思いました。

のれんもショーケースもただそこにいて、お客さんの風貌とか、持ち込んだ預かり物とか、店主とお客さんの会話を聞いて、好き勝手なこと思ってるんですよ。

もちろんその声は人には聞こえないんだけど、ユーモアも含んだその言いぐさの中に、店主への愛を感じます。

 

お気に入りは自転車の話

 

きりん屋一番のお気に入りが、ミスタークリスティという名前の自転車の話。

 

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その自転車は希少モデルのとってもかっこいいやつで、ずっと自転車屋さんの天井に吊るされて、走ることに憧れを抱いている。

そんなクリスティがつよしという男の子に買われて、ついに外の世界を走り回る日がやってきます。

 

思えば俺は、店から一歩も出たことのない世間知らずだ。親父が仕事中に流しているラジオで、少しは社会情勢を把握しているつもりだが、それも実体験のない知識に過ぎない。

たとえば、地球は丸いってことは知ってる。つまり、ずんずん走れば元の場所に戻るってとこまでは知ってるんだけど、どれくらいの時間で元に戻れるのかはわからない。

 

これから先、いっぱい「あれっ」って思うことがあるだろうが、それは俺の経験不足なのであって、世の中が間違っているわけではない。

全てを受け入れ、日々学んでいこうと思う。

 

それから、走った。

生まれてはじめて、走った。

つよしの運転は確かなもので、俺とつよしは大通りをすいすい走った。ずっとあこがれ続けた、走るということ。それが叶った。アスファルトが心地よい。車輪が回るのが心地よい。風を感じる。風は水色をしている。そんな感じだ。俺も水色だ。俺は風と一体になる。走るって、すげぇ。想像をはるかにこえた、ああ、何と言えばいいか、言葉が見つからない。

俺はいま光ってる。今までで一番光ってる。

魂がぴっかぴかだ!

 

どうよこれ、可愛くないですか?

これ、自転車ですよ。言葉が見つからないって。すべてを受け入れるって。

めっちゃ可愛いじゃん。

 

モノも人と一緒と思うと、持ち物全部が愛おしくなる

 

きりん屋、モノって元々からそのモノとして生まれてきてるんだから、たとえば自転車だったら走ることなんてお手の物だし、ペンだったらペンとしての役目を全うしてれば持ち主のことなんてあんまり考えてないって思ってました。

 

だけど違うんだね。

きっとモノだって人間と一緒で、

生まれてきた時は世界がどんななのか、自分が何者なのか全然わからなくて、

周りの景色や様子を見て徐々に世の中のことを学んでいって、

自分の意見もちゃんとあるし、

持ち主のことを好きだなって思ったり、でもこういうところは改めて欲しいなって思ったり、

自分に関わりのある全てに思いを持って生きてるんじゃないだろうか。

 

そう思うと、

きりん屋が今ブログを書いてるタブレットだって「もっと丁寧にキーボード叩いてくれへんかな~痛くてかなわん」って思ってるかもしれないし、

コーヒー飲むためのマグカップだって、「コーヒーみたいな図々しいやつばっかりじゃなくて、たまにはお紅茶でも飲んだらいいのに」とか思ってるかもしれない。

そのくせお紅茶飲んだ日には「やっぱりコーヒーの方が…」なんて思うのかもしれない。

 

やばい、めくるめくファンタジーワールドになっちゃう。

そしてそんなこと考えてたら、なんだって粗末に扱えない。

とても素敵な小説でした。ほっこりしたいかた、ぜひ。

 

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